「ユダヤ人埴輪」と呼ばれる埴輪は関東地方で沢山出土しています。その見た目から「ユダヤ人」とも言われていますが、この埴輪は日ユ同祖論の証拠になるのでしょうか?今回はユダヤ人埴輪の正体を考察していきます。
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このビデオはデタラメ。
コメントから察するに、そもそもこの人ユダヤ人と会ったこともないし、話したこともないし、彼らがどういう人で、どういう歴史をもつ人か、肌感覚で知らないでしょ・・・。そのへんの本を数冊読んだ受け売りのレベル。
問題は服装ではなく、みずら。そして房。これらは旧約聖書に示されているユダヤ人の印。ユダヤ人以外にはい。古墳時代でさえない。
それに、古墳時代の朝鮮人はこんな格好をしていない。Kドラマの観すぎ。Kドラマ写真を使っている時点で、アウト。朝鮮半島にその服の色、染色技術、どちらもありませんから。
胡はソグド人のように、髭の多い人たちのこと。見た目では区別がつかない。それに、当時はペルシャにはユダヤ人が溢れていましたから。どうしたらユダヤ人”だけ”来なかったと言えるの?
しかし一番驚きなのは、戦後のサヨク学者ならともかく、朝鮮半島の今とその歴史を見て、日本の文化や技術の源泉が本当にそこにあったと肌感覚で感じるのだろうか? その感覚が一番の驚き。
あ、ちなみに、新羅には一時、ローマの文化をもつ今とは異なる人たちがいましたから。
17、18世紀に伝統に返る・伝統を維持するとなったということは、それ以前からその正統派スタイルは存在したとも言えるのではないでしょうか?なのでその埴輪はユダヤ人ではないと一概に否定もできないと思いますが、同祖ということはないでしょうね。一部(秦氏?)が渡来してたのは事実だと思いますけど。
同祖論は日本だけでなく、かつてはイギリスにもあったようです(英ユ同祖論)
日ユ同祖論の中の最大の矛盾点は宗教観……日本のアミニズムと戒律の厳しい一神教は、同祖とするほどユダヤ人の割合いが高ければ相容れる事は難しいかと思います
日本では”ユダヤ”は有難がる傾向にあるようで、本のタイトルに付けられてたりもしますね
歴史ロマンと言えば聞こえは良いですが、”ユダヤ”と付ければチョロいなどと思われては、シャレになりません
科学の発展と共に解明されていく事を願います
田中英道先生の珍説は面白いけど、ツッコミどころが多すぎなんだよね
古代世界は意外と人的交流が有ったので、ユダヤ人の一部が中国経由で日本に来ていた可能性はあると思うけど、あの埴輪を証拠として持ってくるのはちょっとね
あんな人間と近しいなど吐き気がしますね。
人類はアフリカを祖としますが、
ユダヤを経由した系統でない日本人でありたい。
それと、渡来して来た当時のユダヤ人が、ユダヤ教徒の特徴の一つである帽子をかぶってたのか甚だ疑問に思います。
八坂神社の「ヤサカ」を結びつける人が居ますが、
八坂は仏院であり、社は祇園。
清盛が射抜いた、祇園の神官が担いでいた神輿は叡山が所有。
祇園の神官は叡山の傘下。
祇園祭は、戦国時代が落ち着いた時に近江商人が始めたのが起源。
旧約聖書、その他から、
獣の皮、羊毛、亜麻がイスラエル人の衣服の材料で、色の指定さえなかった。ただ、混合織はダメ。肌の露出はダメ。だったはず。
日本から東ヨーロッパに移動した可能性が完璧に無視されています。